2011年3月11日に起きた東日本大震災の時に工業地帯の人工島にいた30代のKさんの体験談をご紹介します。
Kさんは震災時、会社の事務所で昼食を食べ終え、休憩をしていました。
あなたの今いるところは大地震が起こったらどうなるか、考えたことがありますか?住居はもちろん職場も、そして職場への経路もです。
孤立したりする可能性はないでしょうか?道路が陥没して落ちる可能性はないでしょうか?
「そんなこと、なってみないとわからいよ!」と思われるかもしれません。しかし、災害時、孤立や寸断、帰宅困難がほぼ確定しているところがあるのです。
この記事では、2011年に発生した東日本大震災の時に工業地帯の人工島で働いていた時に経験した出来事を紹介します。特殊な例ですが、あなたにも共通点がきっとあると思います。
工場だけの巨大人工造成島
ここは神奈川県の川崎市と横浜市にまたがる大きな人工島。
このあたり一帯は京浜工業地帯の一角で、製鉄所、発電所、コンビナートが立ち並んでいます。工場夜景としてもカメラマンに人気のスポットです。これらの建物は密集しているため、島であることを忘れるほどです。
しかし、この島は関係者以外立ち入り禁止。
この島に入るにはまずゲートで許可証を見せ、海底トンネルを渡って入島します。島はゲートから車で30分ほどの大きさで、私の勤めていた工場は島の端にありました。
島の最大の特徴は、入口が海底トンネルしかないという点。
ここで私は、震度5強の地震に遭遇したのです。
東日本大震災と名づけられた地震
2011年3月11日午後2時半過ぎ
私は昼食を食べ終え、特有の眠気がしていた頃でした。
「ドスン!ドドドドドドドド!!!!」
轟音(ごうおん)とともに大きな揺れが発生。本棚のファイルが次々と落ちてきました。
「今まで経験のないほどの揺れだな」
そう思って、窓の外を見ると、見たこともない景色が広がっていました。
外は見渡す限り、すべての煙突から真っ黒の煙が出ていました。製鉄所やプラントでは、緊急停止すると不完全燃焼により黒煙が出るのです。
その煙が海上を通る高速道路をさえぎり、トラックが行列になっていました。
「今日は帰れないな」
私はすぐに海底トンネルのことが脳裏によぎりました。
海底トンネルは今までも大雨で何度か通行禁止になったことがあるので、すぐに会社に泊まることを決意した。
揺れが収まり、私はテレビをつけました。
震源地は三陸沖。
「震源地から結構離れているのにこんなに揺れたの?」
とてつもない巨大地震だったことを知りました。そして、津波が来るかもしれないとの情報が流れてきました。
「やばい!」
海辺には海水取水装置のメンテナンスを行っている作業員がいたのです。私は津波注意報が出ていること知らせるべく一目散に走りました。
津波が来ますよ!
私は現場監督に叫びました。
しかし、現場監督の返答はそっけなかった。
「潮位の変化があったら考える」
私は呆れながら海が見渡せる事務所にいったん戻り、再びテレビの情報に耳を傾けていました。そうこうしているうちに、テレビから三陸沖に高さ10mの津波が来ると言う情報が流れてきました。
私はいても立ってもいられなくなった私は再び海水取水装置へ走りました。
「東北に高さ10mの津波が来るらしいです!早く避難した方がいいです!」
「ここの潮位はどうなの?」
現場監督に聞かれたので海を見てみました。潮位の変化はありません。
「変化はありませんが…」
「ならこのまま作業を続けるよ。変化があったら考える」
「とりあえず津波注意報が出ている情報は伝えましたからね!もう知りませんよ!」
私はなかばヒステリー気味に言ってみました。
しかし、潮位の変化がないことを知った現場監督はそのまま海辺で作業を続けました。
結果から言うと、ここには津波は来ませんでした。
一般的に津波が来る直前には潮位が下がることが知られています。現場監督は潮位を確認しつつ、作業を続行していたのです。
自分の目で見たものだけが正しい
現場監督は言うまでもなく現場主義の人でした。長年培ってきた経験から生まれた信念なのかもしれません。
いくらテレビや他人が津波が来ると言っても、目の前で兆候がなかったら絶対に信じませんでした。
災害時やトラブル時はの情報が錯綜しがちです。パニックにならないためにも、自分の目で見たことを優先し、その他は排除することも時には必要なのかもしれません。
ちなみに、私の勤めていた工場は、毎朝危険予知ミーティングで様々な危険予想を行っていました。津波に関しての予知をもっと詳しくやっておけば、ここまで慌てることもなかったかもしれません。
会社でのお泊まり
夜7時を過ぎ
言うまでもなく、海底トンネルが通行止めとの一方が入ってきました。
「やっぱりね」
津波予報が出ている上、埋立地特有の液状化現象の可能性もあるため、誰もがすでに一泊する覚悟ができていました。
ところが、この島にはスーパーもコンビニもありません。
孤立した以上、夕飯は買いに行けません。社内にはカップ麺が備蓄されていたのでそれを夕食としました。
銘柄は日清カップヌードルのカレー味。
私は今でも日清カップヌードルのカレー味を食べるたびに震災当日のことを思い出します。
社内には布団がなく、カーペットの床で寝ることになりました。しかし、床が硬くて寝れません。
「寝袋と空気式のマットレスがあればいいのに」
そう思いながら、寒さを凌ぐために暖房を強めて、乾燥を防ぐために加湿器をつけて就寝しました。
液状化現象
地震発生の翌朝は土曜日でした。
海底トンネルが開通しているとの情報を得て、私は帰路に着くことにしました。
車で道路を走ってみてすぐに異変に気づきます。道路がデコボコになっているのです。そして、黒い砂が広がっていました。液状化現象が起こっていたのです。
地震の際に地面から吹き出た砂水が乾いて砂だまりになっていました。砂が一面、黒く広がっており、その下が陥没してるかどうかわかりませんでした。
恐る恐る通ってみたが、幸いにも落ちることはありませんでした。
そして、海底トンネル。
地震の直後のトンネルは嫌なものである。車内から見る限り、トンネル内部に異変は見つけられませんでした。
私は無事、孤島からの脱出に成功しました。
もう一泊しておけばよかった
駅に着くと、張り詰めていた緊張感の解放感でいっぱいでした。
ただ、問題が発生しました。電車に乗れないのです。電車は来ていたのですが、電力不足から速度を落として運行していました。
輸送力の低下と昨日帰れなかった人が、一斉に押し寄せてホームにすら入れませんでした。
やっとのことでホームにたどり着いたものの、乗客がすし詰め状態で到着してこの駅からは誰一人として乗れません。
結局、2時間ほど待って、ようやく満員だけれど少しだけ隙間のある電車が来ました。
もう一泊しておけば、かなり余裕をもって帰れたでしょう。また、ツイッターなどのSNSで駅の混雑具合をアップされていたので、チェックしておけば混雑を防ぐことができたに違いありません。
最後に
私は今回の地震で、住居の安全は考えていましたが、職場の安全はあまり考えていなかったことを
深く考えさせられました。
職を選ぶ際には、職種だけではなく、勤務地と通勤経路の安全性にも注意をはらう必要があることを頭に入れておいたほうがいいです。
・工場地帯に地震が来ると、黒煙まみれになる可能性がある
・「津波が来る直前は潮位が下がる」などの知識があればパニックを防げる。
・会社には寝袋と膨らますマットレスがあれば助かる。
・埋立地は液状化で水が吹き出してくる可能性がある。
・液状化した後は砂で下が陥没しているかどうかわからない。
・帰宅は急がずに、SNSで交通機関等の混雑具合をチェックする。