【地震体験談】阪神・淡路大震災から25年、今も心に残る震災への思い

 

1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災で、兵庫県伊丹市の自宅で被災した30代のRさん(当時10歳)の体験談をご紹介します。

 

 

 

1995年1月17日午前5時46分52秒

 

兵庫県・淡路島北部沖の明石海峡を震源とする地震が発生しました。

 

私は当時10歳で、兵庫県伊丹市にある自宅で被災しました。

 

 

眠る前、いつものように家族と「おやすみ」の言葉を交わし、いつも通り眠りについた私。まさかその日常が、数時間後にすっかり変わってしまうとは思ってもみませんでした。

 

あの時、被災地では何が起きていたのか。当時小学生だった私の体験談をお話しします。

 

 

初めて経験した地震、奇跡的に助かった父!

私は両親と弟と私の4人で暮らしていました。

 

我が家は兵庫県伊丹市にあり、隣の家と壁同士がくっついた長屋のようなタイプの家で3階建でした。その家の2階で両親と弟が、3階に私がひとりで眠っていました。

 

地震前夜もいつも通り午後10時ごろに家族に「おやすみ」と告げ、私は寝室である3階にひとりで向かいました。

 

当時の私はまだ10歳。

 

ひとりで寝るのは怖かったですし、本当は両親と一緒に眠りたかったので、両親と眠る弟がうらやましくて仕方がなかったことを覚えています。

 

しかし、2階には十分な広さがなかったこと「お姉ちゃんなんだから、もうひとりで寝なさい」と両親に言われたこともあってひとりで眠っていました。

 

この時は、私がひとりで眠っていたことが、父の命を助けることになるとは夢にも思っていませんでした。

 

 

そして、1995年1月17日午前5時46分52秒、阪神・淡路大震災が起こります。

 

実は私は、地震が起こる少し前に目覚めていました。近所に犬を2匹飼っていた家があったのですが、そこの犬たちが激しく鳴いているのを聞いて目覚めたのです。

 

後に、地震前に動物たちが激しく鳴いたり、鳥たち一斉に飛び立つ現象が確認されていたと知り、「近所の犬たちの行動も地震の前触れだったんだな」と納得しました。

 

 

まず、地面から突き上げるような縦揺れがありました。

 

私の部屋には、本棚が2つあり背中をくっつけるように置いてあったのですが、その本棚がスローモーションのように宙に浮き上がりました。

 

その後、すぐに激しい横揺れが襲ってきました。

 

宙に浮き上がった本棚は空中でぶつかり合い、ぎっしり詰まっていた本が弾け飛びました。何が起こっているのか理解できず「はじけ飛んだ本が花火みたいだ」と思ったのを覚えています。

 

横揺れが始まってしばらくしすると、ひとりで眠っている私を心配した父が肩をさすりながら階段を上がってきました。

 

「肩はどうしたの?」と尋ねると「何かにぶつかった」と父は答えました。

 

 

揺れが収まってから、母と弟がいる2階に降りて行ってびっくり!我が家で一番大きなたんすが倒れていたのです。

 

たんすが倒れていた場所は、父が眠っていた場所でした。父の肩に当たったのは、倒れてきたたんすだったのです。

 

私がひとりで寝ていなかったら、もう少し父が立ち上がるのが遅かったら、今頃、帰らぬ命となっていたと思います。倒れているたんすを見て、初めて事の重大さに気づきました。

 

 

幸い、私の家族は全員無事でしたが、伊丹市でも多くの方が命を落とされました。地震は、私が当たり前に感じていた日常を一瞬にして変えてしまいました。

 

 

地震後の我が家の状況と災害に対する備え

前述の通り、我が家は隣の家と壁同士がくっついた長屋のようなタイプの家でした。

 

4軒が連なっていたのですが、幸いにして、4軒とも倒壊といった被害は受けませんでした。しかし、私の隣の家のベランダが崩れかかっているということで、後日、協力して修理しました。

 

あとは、ひび程度の損害でした。

 

家の中は、当時飼っていた鳥や亀、金魚などの動物が水槽が割れたりしたことにより飛び回っていました。食器棚は向きがよかったのか、食器が飛び散るようなことはありませんでした。

 

両親と弟の寝室にあった大きなたんすが1棹(さお)倒れたのと、私の部屋の本棚が倒れた以外は、倒れたものはありませんでした。

 

被災当時、小学生だった私は、当然ながら地震に対する備えなど全くしていませんでした。それどころか、地震というものがどれくらい怖いものなのかすらわかっていなかったように思います。

 

地理の授業で「関西は地震が少ないエリアだ」と習ったこともあり、地震という現象が自分の身近で起こるなんて考えたこともありませんでした。

 

私の家族も、今思うと地震に対する認識は甘かったようで、これといって地震のための備蓄品はありませんでした。懐中電灯すらどこにあるかわからない状況でした。

 

 

必要物資の確保、絶たれたライフライン

 

我が家の被災状況としては、地震直後は停電・断水で、ガスも止まっていました。幸い、お風呂の水を残したままにしていたので、当面トイレには困りませんでした。

 

地震直後、まず必要だと感じたのは灯りでした。

 

冬で薄暗かったこともあり、灯りがないと、家の中がどうなっているのかすら確認できませんでした。母が墓参り用のろうそくとマッチをたんすの奥から引っ張り出し、灯りを確保しました。

 

次に水、保存食です。

 

我が家には、カップ麺などの保存食はありましたが、飲み水の備蓄はありませんでした。ですので、給水車へ水をもらいに行きました。

 

あとは、情報を得るための手段です。

 

停電でテレビが映らなかったので、情報は何も入ってきませんでした。周りの状況がどうなっているのか、わからないことが不安でした。

 

 

伊丹市では、阪急電鉄の高架が崩れてしまい、高架下にあった交番の方が命を落とされたりと、様々な被害がでました。

 

幸い、我が家は伊丹市の中でも比較的被害が少ない地域に住んでおり、電気・水道・ガスなどのライフラインはその日の夕方に復旧しました。家には多くの傷が残るものの、夕方にはほぼ普段の生活に近い状態までには回復しました。

 

 

今後の災害に備えて

まず、前述のとおり、私たち家族の災害に対する意識は低すぎました。被災から25年が経ち、改めてそう感じます。

 

この自身の体験から、最低でも備蓄品として、保存食・保存水・懐中電灯・懐中電灯用の電池は各家庭に備蓄しておくべきだと私は感じます。情報を知る手段として、携帯型のラジオもあると便利だと思います。

 

また、たんすや食器棚を突っ張り棒などで固定するなど、地震に対する備えが必要だと思います。

 

万が一のことを考え、大きなたんすの近くで眠るのはできるだけ避けた方がいいでしょう。たんすの上に物を積むのも危険だと思います。

 

さらに、自宅ではなく外で被災した時に備え、家族とあらかじめ連絡の取り方や合流場所などの話をしておくのも大切だと思います。

 

我が家では、自治体が発行している津波などに対する災害マップを活用して防災について話し合っています。日頃から、災害に対する備えを行うことで落ち着いて行動できるようになるはずです。

 

 

最後に

 

今年(2020年)で阪神・淡路大震災から25年が経ちました。神戸市では今も「阪神淡路大震災1.17のつどい」が行われています。

 

25年という時が経ちましたが、震災はいまだ被災者の心の中では色あせず、生々しいものとして根付いています。

 

私も当時に思いをはせ「決して風化させてはいけない」という思いを胸に1本1本ろうそくに火を灯しました。

 

 

幸い私たちの家族は全員無事でした。しかし、あの場所でろうそくに火を灯している時いつも自然に涙が流れます。

 

私は当時、街が戦後のような悲惨な状況になったのを身近で見ました。身近な方の家族が亡くなったのも知っています。

 

「決して風化させてはいけない」

 

そんな事実がそこにはあります。

 

だからこそ、災害に備え、できる限りのことをして暮らして行きたいと思います。

 

私の体験が、少しでも人の役に立てば嬉しいです。

 

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