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【地震体験談】テレビが降ってくる恐怖

 

1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災で、大阪府の北摂(ほくせつ)地域の自宅で被災した、30代のCさん(当時大学生)の体験談をご紹介します。

 

 

 

1995年1月17日に発生した、阪神淡路大震災。当時私は大学3年生で、ちょうど試験期間の真っ最中でした。

 

「早く試験終わらないかな…」そんな気持ちで床についた翌朝、世の中は試験どころじゃなくなりました。

 

震源地から遠く、避難生活を余儀なくされることはありませんでしたがそれでも初めて体験した大震災。

 

そこで目の当たりにした現実や恐怖、得た教訓などを書き記したいと思います。

 

 

気づいたら頭の横にテレビが

 

1995年1月17日5時46分。熟睡していた私は、強烈な揺れで起こされました。

 

揺れはしばらく続き、やがておさまりましたが、その後も動けませんでした。恐怖と動揺で、体が動かなかったのです。

 

「あんたいつまで寝てるの!地震よ!」

 

母親が部屋に飛び込んできました。

 

その言葉でようやく体が動きましたが、部屋の様子を見て唖然としました。

 

本棚の本はすべて落ちており、机の上もぐちゃぐちゃ。

 

そして何よりも驚いたのは、高さにして30cmぐらいのキャビネットの上に置いてあったテレビが寝ている頭の横に落ちていたこと。

 

もう少し寝る位置がずれていたら、頭に直撃しているところでした。

 

 

14インチの小さなサイズではありましたが、当時のテレビはブラウン管。

 

けっこうな重さですから、当たっていたらどうなっていたことか…

 

 

街が壊れた

 

ようやく自室から出てリビングへ。

 

当時父、母、弟の家族4人で暮らしていましたが誰の顔も見えません。冬の朝が暗いから、だけではなく、停電していたのです。

 

とりあえず全員の無事を確認。

 

しばらくは懐中電灯が唯一の光源でした。

 

その懐中電灯も、光が弱々しくてなんとも心細い状態。

 

30分ぐらい経ったでしょうか。ようやく電気が点きました。

 

テレビをつけてみると、どうやら震源地は淡路島のあたりで死者、行方不明者も出ているとのこと。

 

「これはえらいこっちゃなぁ…」

 

そうつぶやいた父親。

 

 

当時私たちは大阪府の北摂地域に住んでおり、父は兵庫県三宮市にある会社に勤務していました。

 

会社に行くべきか行かざるべきか迷っていましたが、数十分後に会社には行けないことがわかります。

 

明るくなってきて次第に街の様子が判明してきました。

 

テレビに映し出される神戸の街は、まるで空襲にあったかのよう。高速道路は傾き、あちこちから火の手が上がっていました。

 

何よりも衝撃的だったのは、昔から親しみのあった阪神電車が倒れていたこと。

 

「こりゃ会社どころとちゃうな」

 

父親のその一言で、自分も大学に行けないことに気づきました。

 

 

当時付き合っていた彼女は須磨に住んでいましたが、携帯電話はつながらず。

 

公衆電話からようやく彼女の自宅につながりました。

 

声が聴けたことにとりあえず安心はしたものの「火事が隣のマンションまで迫っている!怖い!」

 

とてもひっ迫している様子。

 

「電話切るからすぐに逃げろ!」と叫んだことを覚えています。

 

結局延焼は免れ、彼女もご家族も無事でしたが、その後しばらくは会うことがままなりませんでした。

 

 

大阪府の北摂地域は震度4。震源地に比べると大した震度ではありませんでした。

 

しかし、自宅はマンションの4階だったので、震度4では済まなかっただろうと思います。

 

なんせテレビが横に降ってくるレベルですから。

 

 

路上喫煙=死ぬかもしれない

 

震災から約1ヶ月ほど経過した頃、大学から定期試験再開の話がありました。

 

交通もなんとか大学まで行ける程度には回復したとのこと。ちなみに大学は兵庫県の西宮市内にありました。

 

 

阪急電車に乗り、大阪から西宮へ。

 

電車が西宮に近づくにつれ、少しずつ倒壊した建物が増えてきました。1階がまるまる潰れたマンションが、そのまま残っていました。

 

大学の最寄り駅からは徒歩で20分ほど、山のほうへ上ります。

 

そのあたりになると「倒壊していない建物のほうが少ないんじゃないか」というぐらいの惨状でした。

 

 

目に飛び込んでくるのは、潰れた家、積み重なった瓦礫、そして「火気厳禁」の立て札。

 

当時私はたばこを吸っていましたが、その時ばかりは吸えませんでした。ガス漏れが発生している可能性があるからです。

 

ライターでカチっとやった瞬間、爆発するかもしれません。

 

 

いつもしていた歩きたばこが「命の危険にさらされる」という事実。

 

それまでの自分は、実際に大きな揺れに見舞われたものの、テレビの中で起こっている大惨事、としかとらえていなかったのかもしれません。

 

現地に足を踏み入れて初めて、震災の恐怖を自分の肌で感じた瞬間でした。

 

 

震災で得た教訓

 

私は自宅が倒壊したわけでもなく、避難生活を余儀なくされたわけでもありません。

 

大きな被害に会われた方々に比べれば、被災者と言えるのかどうかわかりません。

 

しかし、日常生活が一変したことは事実です。

 

そんな中「普段からこうしておけばよかった」と後悔したことがいくつかあります。

 

 

1.「電池」

 

懐中電灯の準備はありましたが、電池の補充まではしていませんでした。結果、停電の中弱々しい光しか出ないことに。

 

薄暗い光は、精神的に弱気にもなってしまいます。余裕のある時に、定期的に入れ替えておかないとダメだなと思いました。

 

 

2.「食料」

 

食料はあるほうでしたが、それでも2~3日はコンビニやスーパーから商品が消えました。カップ麺でもいいから、保存食料は置いておくべきでした。

 

カップ麺はお湯が使えなくても、時間はかかるけど水でも食べられるんですね。

 

 

3.「ラジオ」

 

地震発生直後の30分ぐらいは停電状態で、何の情報も得られませんでした。

 

普段からラジオを聞かないので準備もできておらず。

 

自宅はたまたま30分後に電気が復旧したから良かったものの、そうでなければ、会社や学校に行く判断もついていなかったと思います。

 

 

以上、当たり前のことばかりですが、いざ必要になった時に、準備できているかどうかで大きな差があるなと身をもって実感しました。

 

 

いつ起こるかわからない災害。

 

忘れた頃にやってくるからこそ、普段から準備はしておきたいものです。

 

 

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