【地震体験談】東日本大震災の経験を今後起こり得る災害に生かすために

 

2011年3月11日に起きた東日本大震災で、福島県いわき市で被災した、20代のSさん(当時中学1年生)の体験談をご紹介します。

 

Sさんは震災当日、中学校の卒業式のため午前中に学校が終わり、母親と兄と自宅で映画鑑賞をしていました。

 

 

 

東日本大震災から今年(2020年)で9年が経ちました。

 

まわりを見渡すと、震災から復興を果たした街並みがうかがえます。

 

しかし、復興とともに私たちの震災への意識が薄れていることも事実です。

 

 

私は福島県いわき市出身のため、家は半壊、津波で浸水、その後原発の影響で両親が職を失いました。

 

震災の影響をもろに受けているため、震災のことを忘れようにも忘れることができません。

 

この記事では、実際に震災をもろに経験した私が、震災を受ける前に用意しておきたいものや心構えなどを書いていきたいと思います。

 

 

東日本大震災発生

 

2011年3月11日、未曽有の災害である東日本大震災が発生しました。

 

震災発生時、私は中学1年生でした。

 

その日は卒業式だったため、午前中で学校が終わり、私、兄、母親の3人は自宅で映画を鑑賞、父親は仕事に出ていました。

 

そして、映画も中盤に差しかかったところで、急に地鳴りのようなものが聞こえました。

 

映画を見ていたため、緊急地震速報が鳴っていることに一切気づかず、「最近地震多いね~」と談笑していました。

 

しかし、地震はおさまらず、どんどん強くなっていきます。

 

危険を理解したころには、テレビは倒れ、ピアノは足踏み、窓も割れ、どうすればいいかもわからず、ひたすらおびえながらテ-ブルの下に隠れていました。

 

そして、地震がおさまり、テ-ブルの下から顔を出すと、地獄のような光景が待ち構えていたのです。

 

私たちがいたリビングル-ムだけは奇跡的に無事でしたが、他の部屋は天井が落ち、ガラスが散乱。どこがどの部屋かもわからないほど崩れていました。

 

 

私たちが悲嘆に暮れていると、そんな時間は与えないといわんとばかりに警報が鳴りました。

 

「津波が来ます、高台に避難してください。」

 

しかし、私たちの家は海からは少し離れていたため、「大丈夫」とたかをくくっていました。

 

「今は津波に備えるよりも、断水に備えて水を蓄えておいたほうがいい」と判断し、ありったけの鍋やペットボトルの中に水を蓄えようと考えたのです。

 

 

すると、水を汲んでいる途中に庭から大きな音がしました。確認すると、父親が家に帰ってきたのです。

 

私たちは安心して、父親を迎えに行きました。しかし、父親は血相を変えながら怒鳴りました。

 

「今すぐ屋根の上に避難しろ」

 

 

普段温厚な父が怒鳴るところを初めて見たので、屋根の上に避難しました。

 

そして、屋根の上に上がると、今まで見たこともないような地獄の光景が広がっていたのです。

 

 

ところどころ家が燃え、煙が立ち、避難しようと車が渋滞を起こしていました。

 

しかし、そんなものより衝撃だったのは、海から押し寄せてくる大きな影でした。

 

初めての経験で、見たこともなかったものでしたが「あれが津波だ」ということはなんとなくわかりました。

 

 

そのあとの記憶は少ししかありません。

 

津波で流されていく車、流されながら助けを求める人々、「次は私たちの家かな」という両親の会話。

 

すべてが今でもトラウマであり、忘れることはできません。

 

 

避難生活

 

津波がひいた後に、私たちは避難所である体育館に行きました。しかし、思っている以上に人がいませんでした。

 

そして、体育館に入るや否や、知らない女性に「私の息子を見かけませんでしたか」と聞かれました。

 

私たちは体育館までの道中、人を一切見かけなかったので「見ていない」と答えました。

 

すると、女性は泣き出し、悲痛の叫びが体育館にこだましました。

 

 

「何かしてあげたいけど何もできない」

 

そんな感情でぐちゃぐちゃになったことを覚えています。

 

 

避難所では夜ご飯に豚汁を配ってくれました。

 

季節は冬であり、ブル-シ-トは敷いてあったものの非常に寒かったので、質素ではありましたが今まで食べたものの中で一番おいしく感じました。

 

 

次の日、私たちは体育館を後にし、一度自宅に向かいました。

 

私たちの家は、床上浸水程度で済んだので、めちゃくちゃになった自宅からいろいろかき集めたのを覚えています。

 

結局、半壊した家で約1週間過ごし、その後は母親の実家に避難しました。

 

しかし、その家も断水しており、配給される水しか飲めなかったので、全員で分け合って過ごしていました。

 

食料は、もともとカップ麺などの買い置きがあったので、1個を2日かけて食べるなど、切り詰めて切り詰めていました。

 

しかし、数か月後に近くのスーパ-がレトルト品やカップ麺などを売り始めたので、食料の部分は何とかなりました。

 

 

その後、私たちは他県に引っ越し、そこでアパ-トを借りて過ごしました。

 

そこでは特に不自由なく過ごし、約1年後、半壊した私たちの家が建て直されてからは再び自宅に住んでおります。

 

 

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災害を通して

 

私は東日本大震災を通して、様々なことを経験しました。

 

私たちの生活は当たり前ではないこと、出来事一つで暮らしは一変してしまうこと、そしてその出来事は意外と身近にいるかもしれないということです。

 

しかし、1つ2つ対策すれば、私たちほど恐ろしい思いはしなくてもいい可能性があります。

 

最後にそれを紹介いたします。

 

 

まず、私の家では災害にあう前、何も準備をしていませんでした。

 

備蓄もない、すぐ避難するための用意もない、避難経路も知らないなど、今考えても恥ずかしいくらいです。

 

 

東日本大震災を経験し、必要だと思ったものを3つ紹介します。

 

それは、水や食料などの備蓄、懐中電灯などの周りを照らせる物、ラジオです。

 

震災が起こった後などは、断水したり、ス-パ-などで買い物もできない可能性があります。ですので、水と食料は絶対に確保しておいてください。

 

そして、夜に行動する時の備えて、絶対に周りを照らせる物は持っておいてください。

 

 

最後にラジオですが、停電が起こるとテレビがつきません。

 

そして、震災の時は情報が最も大切です。情報を得る手段として、ラジオは絶対に持っておいてください。

 

これらが、災害の前に用意しておく最低限のものです。

 

そして、すぐに避難できるように、自宅で一番近い避難場所などは確認しておいたほうがいいです。すぐに避難できるように、避難するときに絶対にもっていくものは最低限まとめておくこともお忘れなく。

 

これができているだけで、震災を受けた時の対処が変わってきます。

 

 

最後に

 

この記事では、私の震災体験談をもとに、災害の恐ろしさと対処方法について書いてきました。

 

私たちは、時間がたつとともに、災害への警戒がおろそかになります。

 

まず「災害はなかなか起こらない」という固定概念を捨てましょう。

 

災害は意外と身近です。

 

しかし、常に災害を警戒しておくということは厳しいので、せめて紹介したものの準備だけしておきましょう。それだけでかなり変わります(2度目)。

 

 

「現在の私たちの当たり前は当たり前ではない」

 

この言葉だけは胸に刻んでおいてください。

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